矯風会は1970年にこんな声明書をだしていました。
性と結婚のモラルについての声明書
私どもプロテスタント・キリスト教の諸団体有志は、現代日本における性と結婚のモラルについて、近年余りに自由化し、混乱・無軌道ともいえる風潮に対して憂慮いたしますので、ここに特に「婚前性交のモラル」について、教会内外に向かって声明を発表し、世の識者に訴えたいと思います。
結婚前の交わりについて、近頃次のような声が聞かれます。
一、性欲は人間の本能なのだから、結婚前といえどもこれを押えることはできない。人間は本能のままに振舞ったらよい(性欲本能論)。
二、恋愛感情もまた人間本来の自然感情であるから、愛していれば、その愛の証として、肉体の交わりをするのは当然である(恋愛自然主義)。
三、結婚後における性的調和のテストとして、結婚前に性的適合を確かめ合ったほうが良い(試験的練習説)。
四、結婚について親や世間の反対を封ずるために、同棲し、性的交わりを行って既成事実を作って対抗しようという考え(既成事実説)。
五、結婚式など挙げる必要はない。実質的な結婚生活(同棲生活)に入ればよい(結婚式否定論)。
六、婚前性交のモラルのモラルを含めて、一切の既成モラルを破壊せよ(反体制のモラル)。この中には従来処女の純潔を不当に高く評価していた既成観念を破壊しようとする主張も含まれる。
以上の如き声や主張は週刊誌、テレビ、映画、小説その他あらゆるマスコミに陰に陽に掲げられている現状であります。こういった風潮は婚前性交のみならず、やがて婚外性交・離婚・同性愛・性犯罪など不健全な性倫理を生み、健全な家庭生活を破壊し、社会秩序を乱す結果を招来いたします。私どもはこのような風潮を深く憂え、特に婚前性交のモラルについて次の如き見解を発表し、現代日本の社会風俗の健全化を願うものであります。
私どもの主張「婚前性交について」
一、性の交わりは自然の行為であって、それ自体は汚れたものではない。ただしそれは、神と公の証人たちによって承認され祝福された結婚式の後に行うべきものである。なぜなら、(1)性的交わりは単に性欲の満足に止まらず、精神や愛情を含んだ全人格・全生活の一致の表現として行われるべきであり、(2)次の世代を生むべき厳粛な生産の責任においてなされるべきものであるからである。従って、結婚生活におけるごとき夫婦の全人格的一致が達成せられず、それ故に、出産の責任を負いえない状態においては、心身の一致を誘う性的交わりをなすべきではない。
二、前述のことから、当然売春行為も否定される。又未婚男女の避妊器具薬品の使用にも反対する。避妊は既婚夫婦が正しい家族計画の下においてのみ許される行為である。又無責任な妊娠中絶の横行にも強い警告を発する。尊い人間生命を抹殺することは重大な罪である。
三、(性欲本能論・恋愛自由主義に対して)人間は動物ではない。本能や感情は時と処を配慮して充足させるよう理性の支配を受けねばならない。結構前に性欲や感情を統御しようと努める人は、結婚後においても諸々の誘惑に打ち勝つことのできる強い人となるが、反対に性欲や感情を時勢する努力をしない人は、結婚後においても誘惑や困難に負けやすく、婚外性交(不貞・姦淫)や離婚を誘発しやすい。
四、(試験的練習説に対して)試験又は練習説に対しては、結婚後、即ち新婚当時からそのことを始めても決して遅くはない。むしろ始めての者同士が共同して努力するところに夫婦生活の妙味があり、愛情の高まりがある。万一性的不適合が発見されたら、速やかに専門家の指導を受けることをすすめる。性的不適合は肉体的原因より、精神的・環境的原因が遥かに強いのでこれは夫婦の努力によって克服できるものである。
五、(既成事実説に対して)性交という既成事実を作って親の承諾を求めるという方法は拙劣な方法である。性交は対抗の手段となすには余りに厳粛な行為であり、もしも無理解な親に結婚を承諾してもらいたいならば、第三者の斡旋とか本人達の誠心誠意の説得とか、他の方法をとるべきである。
六、(結婚式否定論に対して)結婚式は要らないという考えについては、従来の虚礼や形式的な結婚式を廃する点については賛成するが、たとい簡素であっても、世間や友人の承認と祝福をうる式を挙げることをすすめたい、なぜなら結婚は単に二人だけの個人的な事柄に止まらず、広く社会的関連をもつ公共的性格を持つものだからである。
七、(反体制のモラルについて)既成の体制を破壊するために、婚前性交のモラルを否定しようとする主張に対しては、私どもは一夫一婦制による性と結婚と家族生活はどんな体制のもとにおいても変わることのない人間生活の基本であると信ずるゆえに、軽々しくこれを破壊すべきでないと考える。たとえば一九二〇~三〇年代、ソ連において共産主義革命以後、コロンタインズムなどが同じような主張のもとに、革命前の体制を覆そうとして、性交はコップに一杯の水をのむようなものだといって、婚前性交の自由化を目論んだが、その後その誤りが指摘されて、再び健全な性と結婚のモラルが再建されたという歴史的事実を参照されることを望む。
「結び」
私どもは婚前性交のモラルを正すことによって、現代日本の乱れた性風俗も正したいと思っています、併せて世上余りに露出的・挑発的な性風俗のはんらんに対して、マスコミ関係者の自粛を促したいと思います。
昭和四五年一月二〇日
日本キリスト教協議会家庭生活委員会
東京都中央区銀座四-五-一
委員長 岩村信二
日本基督教婦人矯風会
東京都新宿区百人町三-三六〇
会頭 久布白落実
ミッドナイト・ミッション
のぞみ会
千葉県富津町川名一四三六
代表者 ドラ・ムンデインガー
救世軍日本々営
東京都千代田区神田神保町二-一七
司令官 少将 ドナルド・A・スミス
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- 2009/04/08(水) 10:06:32|
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ECPAT/ストップ子ども買春の会の共同代表を務める宮本潤子氏が所属する日本キリスト教婦人矯風会は1967年に純潔教育要望書を提出しています。
その要望書内には「敗戦後の混乱時には純潔教育の必要が叫ばれ文部省に純潔教育委員会が発足し」とあるのですが、『日本キリスト教婦人矯風会百年史』の年表には、
一九四七(昭22)
・文部省に働きかけて、純潔教育委員会設置。ガントレット恒子(編者注:当時の矯風会会頭)、委員長となり、委員数名参加。
とあります。
ようするにマッチポンプかよ!以下、要望書。
要望書
私たちは、各位が御検討中の教育課程の審議にあたり、"純潔教育"が大幅に採り入られるように要望するものであります。
敗戦後の混乱時には純潔教育の必要が叫ばれ文部省に純潔教育委員会が発足し、昭和三十年に文部大臣への建議案が答申されましたが、その中には、純潔教育の正しい普及をはかるために必要な措置をとること等がありました。現在では社会教育局で作業が続けられていますが児童・生徒へより直接的な影響力をもつ学校教育分野での純潔教育は教科書内にやや散在する程度で強力に推進されているとはいえない現状です。
次代の日本をになう若い世代に、人間生活にとって、重要な性の問題を明るい態度で正しく教える純潔教育をおこなうことは是非必要であります。社会教育・家庭教育の分野でも欠かすことはできませんが、学校教育において科学的に教えられたら児童・生徒はより理解を深めることでありましょう。
この問題の重要性はひろく欧米諸国でみとめられ普及されており。日本においても地域・学校によってはすすめられていますが大半は暗中模索の状態にあります。どうか国の文教政策の一環として、教育課程の中に充実した純潔教育を樹立されるよう各位の御努力を願ってやみません。
昭和四十二年二月六日 日本基督婦人矯風会
会頭 久布白落実
- 2009/04/07(火) 12:32:03|
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