Запретная Зона

ねたのやり取り用

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役に立たないモノはクズ

 そして、2番目には、なんだカンだ言ってもおたくのほとんどは世間に認めてもらいたがっている、ということがあると思います。
 確かに、ある程度キャリアの長いおたくなら、誰でも一度はいわゆるふつーの人々にひどく疎外された経験を持っていると思います。ときどき、そういった経験を経ているからこそ、社会の多数派の価値観とは異なる自分の価値観をはぐくんでいるんだ、と言う人がいますけど、おたくがみんなそうだとは限りません。とにかく多数派の価値観に擦り寄って、なんとかして自分の存在を世間に認めさせようとするおたくも大勢いるんです。
 アニメやマンガのおたくを引き合いに出すと、とにかく作品の芸術性やメッセージ性、テーマ性を取り上げ、下手すると情操教育なんて使い慣れない言葉まで持ち出して、やたらと社会に役に立っていることを強調するという行動にでることが多いですね。もっと直接的にいってしまうと「こう言った新しい文化(といったら語弊があるかも)が社会に認められるためには、ある意味で社会的なメリットや、プラスになることが突出していなければならないのですよ」なんてことを本気で(しかも大声で)いってくるようなおたくってことです。
 モトがこういう手合いだから、何かのきっかけでマスメディアに取り上げられたり、作家や作品が知識人の話題にのぼったりすると、もう大変です。まわり中にふれて回りますよ。ましてや、何か権威のある賞でもとってしまったら、もうしばらく彼とはその話しかできないと思っていいんじゃないかな。
 確かに、おたくといえども社会の中で共存する必要がある以上、ある程度は多数派の価値観と摺り合わせをする必要があるし、社会的メリットがあることは決して悪いことではないでしょう。ところが、これってどこかで聞いたような話じゃないですか。
 そうです、最初に話した旧来のおたく観の裏返しなんですよ。それもほぼ完全に。
 世間の役に立たないから疎外される、疎外されたくないなら世間の役に立たなければならない。
 これで、疎外されっぱなしだったらそれこそいままでのおたくと同じなんですけど、最近わりかし受け入れられちゃっているから大変なんです。東大の講師やってる太めの人なんて、その良い例です。
 何か世間的にまずいことがあると、もうあっさり切り捨てちゃってね。
 それは、真のおたくじゃないって。
 一番偉いおたくがクリエーターだ、なんてのも権威主義っぽくって、イメージぴったりでしょ。
 趣味の世界でこんなこといわれたら、息苦しくってやってられないと思いません?
 もちろん、問題はそればかりではありません。だいたいの場合、彼らは世間に役に立つことを認めさせるのと同じぐらい、いやそれ以上の情熱を傾けて、役に立たない部分を切り捨てようとするわけです。それも、役に立つ、立たないはいわゆる「多数派の価値観」で判断するんですよ。
 そうでなければ、なんとか自分の価値観を「多数派の価値観」であるかのように見せかけるわけですな。実際、ことあるごとに会話に「普通は」とか「一般的には」とか混ぜてさ、とにかく自分の価値観を大きく見せようとするわけです。そうそう、この他に「常識だろ」や「みんなそうだ」というのもお気に入りですなぁ。
 おたくがそんなこというなんて、自分の首を自分で閉めるようなモノですね。
 たまたま、多数派の価値観がおたく的な方向に擦り寄ってきたから良いようなモノの、そうでなかったらどうするつもりだったんでしょう。第一、そんなこというんだったらおたくやめてふつーに生きればいいって思っちゃうんですけど、なかなかそうもいかないんですよね。
 もしかしたら、一生自分のことを落後者だと思って生きていたかも知れませんねって、しゃれになってないな。
 これでは、まわりの人間が疎外感を感じるのも無理のないことでしょう。
 メディアに登場する評論家がアニメを浮世絵に例えるのは、世間受けという観点からは良い方便だと思うけどね。でも、エヴァンゲリオンばかりがアニメじゃないでしょ、子供向けのエンターテイメント性を全く無視するのはかなり権威主義的だと思うぞ。クレヨンしんちゃんやドラえもんを作品的に評価しないのは、こういう心理の現れなんだろうね。
 人間、一見多数派と距離を保って生きているような人でも、何かのきっかけで多数派に受け入れられたら最後、自分を殺してでも多数派にべったり擦り寄る人がたくさんいる、ということですね。悲しいけど。
萌え萌え

 最後は、なんといっても一度帰属する場所を見つけたが最後、その居心地のよさを追及するということにつきます。
 とにかく、一度何かの形で自分を受け入れてくれる仲間を持ってしまえば、つまり帰属する場所さえ確保することができれば、後はぬくぬくと暮らしていけるわけです。となると、当然他の場所に出かけるようなことはしなくなりますね。そこに行けば受け入れてくれるんです、誰がリスクを侵してまで他の場所を探すモノですか。
 おまけに、ある程度メンバーが固まってしまうと、その場でだけ通じるネタというか、話題が生まれるのも自然なことで、そうすればますます帰属意識は高まるし、既にいるメンバーにとっては居心地がよくなるという寸法です。特におたく仲間ともなると、好きなものに関しては当り前のように知識を蓄えているわけで、例え禅問答のような会話であっても、いやなぞ掛けのレベルが高ければ高いほど、内輪的ぬるま湯感覚が増すというものなんですね。
 好きななかまと好きな会話ができる、全く結構。居心地もいいはずです。
 ところが、当然ながら世の中の全ての人が特定のおたく仲間に「帰属」しているわけではありません。疎外されたくないがために集まった仲間でありながら、外部の人間(この表現自体が既に疎外をうんでいるのですよ)にとってみれば、そういう内輪で固まったグループというのが気持ち悪くてしょうがない。皮肉なことといってしまえば全くその通りなんですが、イベントかなにかのひょうしにその間に紛れ込んでしまったが最後、どうしようもない疎外感を味わう羽目に陥るのです。
 パソコン通信なんて、全てがそういうぬるま湯的帰属空間で構成されているといってもいいでしょう。なにしろ、わざわざネット空間で会話している人となると、その会議室なりホームページのテーマが好きな人、というのが大前提にあるわけですから。ことの始めから内輪で固まっているわけです、当然ぬるま湯加減も急速に高まります。
 おまけに、ネットの世界(特にいわゆるパソコン通信)ではあまり長い文章で語ることができないため、どうしても細かいニュアンスが欠落しがちで、必然的にわかる人にだけわかる文章が多くなります。そのうえ、技術的制約から独特の常識が発達してしまったため、文章の作法だけでなく、改行や引用のやり方についてまでネット以外の世界とは異なるマナーが必要とされるのです。
 その凄まじさと来たら、改行を打つ打たないや表現のマナーなどで会員同士がもめた挙げ句、他の会員に対する苦情は私を窓口にしてくれと、管理者が小言をいった古株の会員に釘を刺さしたら、今度は管理者が横暴だといって古参会員達がごっそり抜けてしまう。なんてことが、それこそざらにあるのです。
 おまけに、ネットの中だけで通じる訳の分からない表現も多くってね。ほんと、知らない人間には敷居の高い世界です。
 だいたい「萌え萌え」なんて言い回し使う人、ネットワーカーぐらいですよ。
 一応、説明しておきますと、可愛いキャラクター(だいたい美少女関係)に対する特別なファン感情を表す言葉、ぐらいに理解しておいてください。細かいニュアンスは違うんだけど、正直いって僕の文章力ではその辺まで表現できないんです。
 まぁ、ネットでの使用例をあげてみましょう。

 A:○○ちゃん萌え萌え~
 B:僕も萌え萌えっす
 A:前は××萌えだったんだけど、いま○○萌えだよね
 C:萌え~萌え萌え


 ○○や××のところには、適当なアイドルやアニキャラ、ゲーキャラの名前を入れてください。後は、字面から読み取ってね。ここで僕のやりたいことは、彼らのキャラに対する思い入れを通訳することではなくって、彼らの世界が如何に閉ざされているかってことを表現することなのですから。
 とまぁ、全てではないけれど、一度内輪の方向へ転んだネット空間というのは、だいたいこんな感じですよ。
 繰り返しますけど、そりゃぁ当人たちは気持ちがいいでしょう。はっきりいって、人の目に付かないところでやっているぶんには、なんの問題もないでしょう。でもね、いわゆるおたくの人って、あまり人の気持ち計算してくれないでしょ。それに、自分の楽しいことは他人も楽しいっていうか、とにかく自分が楽しくなると、ほかが見えなくなっちゃうじゃないですか。
 小難しくいうと、おたくはすぐに「自我を拡大」して「他人を同一視」するってことになるんでしょうけど、なんにしてもこの二つが結びついちゃうと、もう始末に終えないことになるんです。特に、一見近い趣味を持つ人達が集まる即売会イベントや、ネット内が細分化されている大規模ネットのオフ会、商業イベントに「濃い」ファンが押しかけたときなんてのは、もうどうしようもないほど「まわりが」息苦しくなりますよ。
 オフ会に限らず、なかまと集まって騒ぐのは楽しいよ。でも、あんたたちばかりがそこにいるわけじゃないでしょ、たまたま趣味が似ているだけで、いきなり萌え萌えとかいわれても困っちゃうんだよ。
 これでは、まわりの人間が疎外感を感じるのも無理のないことでしょう。
 普段、人の目ばかり気にしてびくびく生きているようなおたくでも、イベントになると他人を押しのけて自分の楽しみばかり追及している。中間はないのかっていいたくなるけど、それができるような人間なら、とっくにおたく辞めているということですね。悲しいけど。

どこにでもいる

 ただ、これらの要素は非常に密接に絡み合っているので、人によっては全てをひとつにまとめてしまうかもしれないし、それとは逆に、もっと細分化する人もいるかもしれないけど、とりあえず僕としては3つぐらいがちょうどいいんじゃないかなと、そう考えているんですよ。
 実際、ほとんどのおたくは2つ以上の要素を兼ね備えているし、おたくがもっとも問題になるのは3つの要素が全て揃ったときなんだよね。
 たださ、おたくというか、おたく的いやな人間っていうのは、それこそどこにでもいるんだよ。例えば、今まで読んだ文章の「おたく」ってところを、おじさんとかおばさん、若者に差し替えて、もう一度読み直してください。ほら、結構意味が通じるでしょ。
 要するに、おたくなんてどこにでもいる、ただのいやなやつのことなんですよ。
 逆にいってしまうと、人に嫌われるやつはたいていおたく的いやらしさを持っているって、そういうことになるかもしれない。
 まぁ、敢えておたくをおたくとして特別に取り上げる意味があるとするなら、新しい日本の「嫌な人間」をいち早く取り入れた、という意味で特別視したいかな。そして、その意味では確かにおたくは時代の先端を行っていたし、新しい時代を切り開いたといえるのかもしれない。
 でもね、僕はそんな時代を望んでいなかったよ。
 結局、話の中心は、彼ら(何もおたくに限ったことではないよ)が他人を他人として認識し、存在を認めていないってことにあるんだろうね。他人を自分の「敵」か「味方」としか考えられなかったり、自分の理想を語る「迷える子羊」にしてしまうか逆に「導師」として頼ったり、もっと単純にとにかく何もかもが「自分と同じ」なんて無邪気に思い込んでみたり…
 これじゃ、子供とかわんない。
 そして、そう言った子供と変らない大人達が、街にははいて捨てるほどいるってことに、そろそろみんな気がつき始めているんだろうね。
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テーマ:オタクの私生活 - ジャンル:サブカル

  1. 2007/10/15(月) 15:07:40|
  2. 過去文章
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:4
<<オートトプコール(Auto Topcor)58mm F1.4(コシナ復刻 FマウントAi-s版) | ホーム | 疎外と帰属?>>

コメント

その通りだと思います。

私も似たような?blogを書いたことがあります。
http://df504.blog110.fc2.com/blog-entry-65.html
http://df504.blog110.fc2.com/blog-entry-31.html
切り口は違う文章ですが,同感です。
  1. 2007/11/04(日) 10:58:23 |
  2. URL |
  3. df504 #-
  4. [ 編集]

コメント感謝

このエントリーは、かれこれ10年近く前に書いた文章をサルベージしたものなのですが、現在でもオタクの習性や、あるいはオタクに注がれる目線については、基本的に変化していないと思います。
ブログも拝見させていただきました。
ただ、自分は体罰絶対反対の立場なので、その点は全く相容れないと思います。体罰肯定論者の意見をいくつか耳にしましたが、そのいずれも単なる感情論、精神論に過ぎず、実証的な裏づけは全くありませんでした。
結局、体罰は「罰する側のストレス解消」が本当の目的であり、体罰を肯定することは全く出来ません。さらに、体罰の教育的効果が実証された例はなく、思わぬ事故や心的外傷などの危険性が高すぎると考えます。
  1. 2007/11/05(月) 13:59:46 |
  2. URL |
  3. m_m1941 #qbIq4rIg
  4. [ 編集]

なるほど。体罰について。

そうですね。自分が体罰を肯定して書いていたとは,自覚していませんでした。今改めて考えてみると,肯定か否定かは時と場合によりけりです。中間でしょうか。
BLOGを書いたきっかけは,神戸の高校での凄惨な自殺事件です。あの子がかわいそうで仕方ありません。
真相は知りませんが,学校の人間関係や背景が見え隠れします。多分,いじめさせた主犯格のボスの生徒は教師をも手玉に取ってうまくかわしていたのでしょう。(多分親も。)
その人間の影にある暴力性が周りを黙らせてしまうことが多々あります。そのような力関係はこれまでたくさん見てきました。日本人の悪い癖です。
何としても,いじめは無くしていきたいと思い,広くメッセージを発信しました。
貴重なご意見をありがとうございました。また,寄らせて下さい。



  1. 2007/11/05(月) 20:48:09 |
  2. URL |
  3. df504 #-
  4. [ 編集]

こちらこそ、ありがとうございました。

体罰については、やはり完全否定のほかはないと考えます。何より、体罰の効果なるものが全く立証されていませんし、個人的には「教師が懲罰的な態度で生徒に接すること」自体にも問題があると考えているのです。
例えば、教員が「特定の生徒に懲罰的な態度で接した」結果、その生徒を「生徒と教員の共同体から排除してもよい」という空気が醸成される危険性は存在しますし、そのような空気が醸成されることが「いじめにつながりかねない」ことも論を待たないのではないでしょうか?
イギリスの寄宿学校などでは、体罰といじめについて一定の相関関係が観られたとも聞きます。いじめをなくすひとつの考え方としても、やはり体罰には絶対反対の立場を撮り続けたいとは考えます。
  1. 2007/11/07(水) 15:50:30 |
  2. URL |
  3. m_m1941 #qbIq4rIg
  4. [ 編集]

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