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フィル・シェルダンのカメラその1(マーヴルズ)

 ご存じのように、フィル・シェルダンはカメラマンである。だから、当然のようにカメラと彼自身とは切っても切り放せない関係にあるはずなのだが、マーヴルズにおいてはほとんど登場することなく、ひどく影の薄い存在となっている。まぁ、作品の中心となるのはあくまでも「被写体」であるマーヴルズと「それを取り巻く人々」にあるのだから、カメラの影が薄くなるのは当然のことなのだろう。第一、フィル本人ですら、いわゆる物語的な意味における主人公とはいえないような扱いなのだから。
 とはいえ、おたくの興味というモノはどこまでも広がる訳でして、いったん気になり始めると確かめずにはいられないというのが「悲しい性」というところなのです。しかも、なまじ「細部をリアルに描いてある」作品だから、これは「なんとかなる」だろう、なんてことを考え始めてしまったのですね。
 結局、ある程度のところまでは絞り込んだのだが、それ以上はどうにもムリそうだというところで調べを打ち切らざるをえなかった。そのうえ、調べることによって浮かんできた「新たなる謎」もあり、単純にカメラ機材の歴史から調べを進めてゆくことに限界を感じたという事情もある。恐らく、アーティストであるロス本人に問い合わせれば「正解」を手に入れることも不可能ではないのかも知れない。しかし、それではあまりにも安易であり、しかも何等「想像」の余地がないやり方ではないかと考えたのだ。
 だから、ここに書いてることには多くのまちがいや事実誤認、あるいは作品の拡大解釈もあると思う。しかし、読者自身が「自分自身の視点」に立って、ある特定の作品の背景を調べるということは非常に興味深く、かつ楽しい作業であると考える。実際、私自身も調べを進める中において、また新たなる視点から作品に触れることができるようになったし、いくつかの発見もあった。
 という訳で、個人的な調査と、そして想像の産物をここにお送りする。
 願わくば、私の感じた「調べる楽しみ」を、できるだけ多くの人々と分かち合うことができるように…
第2次世界大戦前:1939~41年

 マーヴルズでは第1話に相当する時期なのだが、正直いってロールフィルムを使うフォールディングカメラということ意外、どんなカメラなのだかさっぱり判らない。ただ、カメラ本体はフィルの手と比べてそんなに大きく無いことと、レンズと蛇腹を支えているスプリングボードの左右にボディが出っ張っていることの2点から考えて、ブローニー判のロールフィルムを使うカメラと見て間違いないだろう。
 その他、フィルがフラッシュガンを使っていることや、ボディ背面に「いかにもファインダー風ののぞき穴」が空いていることも無視できない要素だが、これらの機能は「後の改造によって追加された」可能性が非常に高く、決定的な証拠とはないえない。実際、当時はカメラの改造が盛んに行われており、ちょっと腕に自身のある職人なら、木製ボディのカメラを自作することさえ全く不可能ではなかったのだ。
 そのため、おそらくは1920年代の終わりから30年代初めにかけて製作された中判ロールフィルム用木製プレスカメラに、フラッシュとのシンクロシャッターと接点、フラッシュガン保持用の金具、もしかしたらビューファインダー(距離連動無し)を改造取り付けした物だろうとしか言い様がない。また、ボディは木製であることも明らかなので、最有力候補となるのはコダック No.2 Folding Pocket Brownieである。ただ、当時のフィルは社員カメラマンだった訳だから、カメラは社用品であったと思われる。とはいえ、後に報道カメラの代名詞となるスピードグラフィックが登場したのは1928年のことで(初期のトップハンドルモデルは1912年)、物語の舞台となる1930年代には報道の世界にも急速に浸透していた時代の出来事であることを考えると、新人とはいえすさまじいカメラを支給されていたといわざるをえない。だが、第1話の最後でもロールフィルムと思しきフィルムや同じような形状のカメラがコマの隅に登場しており、もしかしたらフィル自身はそのプリミティブなカメラを気に入っていたのかもしれない。
 いずれにしても、このときの苦労が後に数々の傑作をモノにする土台となったのだから、人生なにが幸いするか判らないのだ。

戦後、その1:1960年代後半

 マーヴルズでは第2~3話に相当する時期で、カメラがアップになっているコマがいくつかあったことから、比較的簡単に機種を絞り込むすることができた。ただ、問題はその機種である。しかも、アメリカ製のカメラでは無く、れっきとした日本製のカメラである。
 ボディ形状の描写と、セルフタイマが見当たらないことから、可能性が最も高いのはミランダD-IIだが、もしかしたら派生型のDR、あるいは少しさかのぼってC型かもしれない(指で隠れやすい位置にあるため、セルフタイマは非常に見えづらい)。だが、いずれにせよミランダというカメラメーカについて、即座に判る人はマニアと呼ばれても仕方がないかもしれない。
 ここはカメラを専門に扱っているわけではないので、ミランダと言うメーカに関する話はさておくとしても、カメラそのものについては少々突っ込んだ解説を加えなくてはならないだろう。また、ミランダD-IIと言うカメラの特性が、さらなる想像の「余地」を生む一つの鍵となっているのだ。
 ミランダD-IIは1960年(C型は1959年)に発売された「輸出専用」の1眼レフカメラで、廉価な普及型カメラとしてアメリカではそこそこの評価を獲ている。また、ミランダはプリズム部分が交換可能である上、特徴のあるレンズマウント(スクリューとバヨネットのダブルマウント)とアダプターによって、当時生産されていた1眼レフ用レンズのほとんどを使用することが可能だった。
 とはいえ、ミランダD-IIがフィルのメインカメラになったこと自体は別問題で、シャッタスピードが最高で500分の1という性能的な問題も含め、いささかというかかなり不自然なことと言わざるをえない。事実、当時の報道カメラマンのほとんどがニコンやライカをメインに使用していたことを考えると、フィルの選択はいささか奇妙、少なくとも通好みと言うか、マニアックな決断のように感じられてしまうのだ。しかも、フィルの場合、ミランダは「たった1機」のメインカメラなのである。
 実際問題として1000分の1秒というシャッタスピードを使うかどうかはともかく、沢田教一は「2機の」ライカとニコンを併用していたし、ロバート・キャパもまた「2機の」ニコンを使い分けていたし、サイゴンのAP支局ではニコンFが主力の座を占めていたといわれている。確かに、きまじめなフィルにいわゆるブランド指向があったとは思えないが(ましてや仕事の道具である)、それにしても既に定評のある機材に背を向けてまで、わざわざミランダを使っていたのだから、なにか特別な理由があると考えても良いのではないだろうか(少なくともその方が面白い)。
 いくらニューヨークの街角はベトナムの戦場と違うといっても、やはり「戦いの場」である事には変わりがない。だから、予備のカメラを持っておくに越したことは無いし、異なるレンズを備えた複数のカメラを持ち歩くことによって、シャッターチャンスも広がることになる。にもかかわらず、この時期のフィルは「ミランダ1機と標準レンズ1本」でほぼ全ての写真を賄っているように見える。
 恐らく、その理由は体力的なものと、そして金銭的なものの両方だったろう。当時、既に中年の域に差しかかっていたフィルにとって、常時2~3機のカメラを引っ提げ、街中を飛び回るといった、パワフルな取材活動は困難であったに違いない。それに、カメラというものは思ったよりもかさばり、また重く感じるものだ。それに、フィルは新聞社から「フィルムを渡されて」取材している。つまり、複数のカメラを使って仕事をするとなると、それぞれのカメラにフィルムを振り分けなければならない上、どうしても無駄が出やすくなる。そのため、フィルの仕事の形態からいっても、複数のカメラを使い回すという訳にはいかなかったのだろう。
 また、金銭的な要素も無視することはできなかったと思われる。
 フィルがフリーになった時期についてはよくわからないものの、フリーカメラマンの収入が不安定で、しかも決して多いといえないことは皆さんもよくご存じのことだろう。ある程度の取材費用などは、必要経費として新聞社に請求していたとしても、それでもなお自腹を切っている部分が多かっただろう。それに、きまじめで、いかにも世渡りのうまくなさそうなフィルのことだから、もしかしたらしなくてもいい損をしていたかもしれないし、そうでなくても多少の浮いたお金は全て、残らず娘たちの養育費へと消えてしまっていただろう事は想像に難くない。
 そう、2機目のカメラを我慢していたとしても…
 もちろん、複数のカメラを保有し、それぞれを仕事に使うことになると、メンテナンスの手間と、そして「費用」が2倍、3倍に膨れ上がることになるのだ。
 ともあれ、フィルにとってこのミランダD-IIは、この「1機で全てをこなさなければならない」カメラであり、そのために他の報道カメラマンとは全く異なる次元からの性能、特に汎用性と費用対効果を追及した結果の選択であったのではなかろうか。実際、ミランダがさまざまなレンズに適応することは先に書いたとおりだし、ニコンやライカの半額(場合によってはそれ以上)を下回る金額で販売されていた訳だから、価格という点においても、十分にフィルの要求を満たすことができたと考えられる。
 とはいえ、たとえいかに当時のフィルが金銭的に逼迫していたとしても、仕事の道具まで節約するのはあまりにもあまりとだし、単純に金銭的な理由だけでミランダを使っていたとは思いがたい。つまり、金銭面に加えてもうひとつの理由が、それもカメラからは推測できないような、フィル自身に起因するなにかが、そこに存在していたのではないかと思うのだ。

続く
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テーマ:アメコミ - ジャンル:アニメ・コミック

  1. 2008/02/28(木) 16:56:21|
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